第2章 造成と井戸掘削

 2016年5月初旬に敷地を選定し、10月に地元の人を介して地権者との交渉をはじめる。
 30年以上放棄されたリンゴ畑は、枯れたリンゴの木と藪が密生している。 

 
 11月に入り、まずは敷地の環境整備をしないと、分筆登記するための測量もすすまない。3.11で地殻が動いたため、測量はGPS計測が義務づけられ、予想外に費用がかかることが判明した。

 12月初旬に遠野へ移住し、仮住まいに最低限の荷物を運ぶ。 2017年1月に農業委員会へ地目変更の申請を提出し、地権者と土地の売買契約を結ぶ。 

2 –1 地鎮祭

 6月18日、大安吉日に地鎮祭を執りおこなう。

 敷地の正面から眺められる六角牛山(ろっこうしさん)は品格のある山容であり、その麓には神社があるのではないか、と感じさせるほどであった。地元の方にたずねると、六神石(ろっこうし)神社があるという。この神社は1200年ほど前、征夷大将軍の坂上田村麻呂が朝廷より蝦夷地平定の命をうけ、遠野に遠征した折、六角牛山に登り山頂に薬師如来、山麓に不動明王と住吉三神を祀ったことが起源とされる由緒ある神社だった。その神社の宮司さんに地鎮祭の神事を依頼する。

 地鎮祭にはクイーンズメドウ・カントリーハウスの創始者である今井さん(写真右端の黒いジャケットの男性)が、東京から駆けつけてくれた。
 彼は魅力的な人柄であり、彼の存在は遠野への移住を決めるうえで大きな要因となった。 

 家を建てる場所とあわせて、井戸を試掘する場所も宮司さんに拝んでいただき、土地の神様にご挨拶をする。

 この時、宮司さんが「私が拝んでも水が出るとは限りませんよう〜」とつぶやいた。

【トピックス:牝馬の放牧】
 遠野は中世から馬の産地である。季節の良い6月〜11月初旬まで、遠野盆地の北にある荒川高原(標高700〜 1,000m)に牝馬を放牧する習慣になっている。
 高原の牧場まで、馬運車で馬を上げるのが一般的であるが、クイーンズメドウ・カントリーハウス(以下QMCH)では、13kmの道のりを3時間ほどかけ、人が馬を引いて放牧地まで連れて行く。ゲストとともにするこの伝統的なスタイルの山上げは、QMCHの年中行事になっている。

荒川高原は一見の価値がある。その空間を体感してみないと、その気持ちよさは理解できない。中世の時代から続く人間と自然の営みが創りだしたおおらかな風景は、2008年 国の重要文化的景観に選定されたほどである。



2 –2 井戸試掘

 敷地は集落から1kmほど上がった高清水山の中腹にあるため、公的な水道施設はない。井戸を掘り生活用水を得ない限り、ここでは終の住処を建てることも暮らすこともままならない。生活用水の確保は必須要件なのだ。
 リンゴ畑上段の北には沢があり、一年中枯れることがない幅1mほどのせせらぎが流れている。ここに井戸を掘れば水が出てくることは確信していたが、終の住処を建てる場所からは150mも離れている。
 家を建てる場所は3段になっているリンゴ畑の下段であり、中段に井戸を掘削しそこから水を得ることができれば、給水管の敷設距離が短くなり、コストを大幅に抑えることができる。

リンゴ畑の中段に試掘】 
 そこで、まず中段に井戸を掘ることにした。
 北上川から三陸海岸までの間にある北上高地は、花崗岩の岩盤が地下深くにあるため、地面を掘ると崩壊した花崗岩がゴロゴロと出てきて、一般的な簡易ボーリング方式による井戸掘削は不向きとのこと。遠野では重機を使いダイナミックにクレーターのような大穴を掘り、水脈を掘り当てることが一般的になっている。井戸掘りも得意とする土木会社に掘削を依頼する。

  2017年7月1日、午前中に重機の搬入と掘削残土置場の草刈りをする。午後から試掘を開始し、夕方までに直径8m、深さ 4.5mほど掘削する。翌日は日曜日で工事は休み。3日、小雨のなか掘削作業を進め7mほどまで掘り進む。

 午後、雨が激しくなり工事は中断。4日、豪雨で溜まった水を掻い出しつつ掘るが、水がでてくる兆候が見られないため、深さ8mほどで試掘は中止し、掘削した大穴を埋めもどす。



2−3 本命井戸の掘削地点まで道づくり 

 掘削ポイントまでは、重機が進入できる道づくりと山林の伐採をしなくてはならない。まず、リンゴ畑の北西端に沿って巾3m、長さ120mほど灌木を切り倒し、藪の刈払いをして道づくりをする。 

 次に井戸掘削ポイントの沢までは、高低差が8mほどある急斜面に、重機用の道路を30m造成する必要がある。

 そして沢近くまで降り、井戸掘削ができるよう20m四方の山林伐採・片付け・整地をしなければならない。
 伐採する400平米ほどの山林には、カラマツ、スギ、クリ、コナラなどの針葉樹と広葉樹が54本あり、伐採後はリンゴ畑上段まで搬出する。1年後、この伐採した木はQMCHと終の住処の暖炉の薪となる。

 120mの道づくり、急斜面の重機用道路30mの造成、伐採木の片付けと掘削場所の整地はそれぞれ同時並行に進め、3日で完了させる。 



2−4 いよいよ本命の井戸掘削 

 7月6日の 15:00までに掘削地点を片付け、休憩後、さっそく井戸掘削に着手する。

 2時間かけ4mほどの深さまで掘削したところで、水脈の兆候であるやや湿り気のある色の濃い砂の層が顔をだし、手応えを感じながら本日の作業を終了。明日は深さ8mまで掘削の予定で、それなりの結論が出るのではないかだろうか。

 翌7日、 4.5mまで掘り進んだところで花崗岩の大岩が現れた。重機一台のパワーではこの大岩は除去できない。もう一台緊急に重機を投入し、2台がかりでこの大岩を引きずり上げる。

  9:50分、深さ 5.5mほどより土砂の間から水が滲み出し、掘削現場は色めき立つ!
さっそく QMCHメンバーに「水が滲み出した旨」 LINEで緊急速報を入れる。掘削穴の直径を大きく広げ、さらに深く掘り進めるよう斜路をつくり重機の位置を3mほど下げる。

水が出た!】

 10:22 深さ6mほどの地点で確かな水脈にぶち当たったようで、水が溜まりはじめた。

 LINEで実況中継をはじめる。ほどなくして地元と在京メンバーから次々とメッセージが入ってくる。「お! やりましたねー!」、「やー! すごいです!」、「すばらしい!」、「おめでとうございます。高清水の水脈、誉れ高い!」などなど祝電さながらだ。

 午後からは、重機2台高低差をつけて配置し、掘削と土砂の運び出しを効率よくすすめる。

夕方までに8mまで掘り進み、ジワジワと水が溜まりだした。

 翌日の早朝は高清水山に登り、遠野盆地をうめつくした雲海を眺め、日の出を拝む。掘削現場へ行くと翡翠色の水がシッカリと溜まっており、飲料水の確保は確かなものとなった。

 一連の井戸掘削工事は、かなりドラマチックな体験であり、血沸き肉踊るような躍動感を覚えた。

地下貯水槽づくり】
 水の溜まった部分に10立米ほどの地下貯水槽を設けるため、栗石、採石、ヒューム管を搬入する。

 井戸になるヒューム管を中心に立て、その周囲に4本の短い穴開きのヒューム管を並べ、周囲に栗石を詰めこみ、上部に砕石を敷き、その上に防水シートをかぶせれば地下貯水槽が完成する。

 その後、二日かけて井戸掘削の穴を埋めもどし、周辺を整備する。この工事を依頼した土木工事会社は段取りが素早く、仕事の進め方が鮮やかだった。

高清水 水神を建立】 
 掘削時に、重機2台でようやく引きずり上げた花崗岩は、幅2m、奥行1m、高さ0.8mあり、推定 4.5トンもある岩だった。井戸の傍、株立ちのホウノキを背にしてこの岩を台座につかい、水神さまを祀ることにした。毎年7月7日は高清水 水神さまのお祭り日としよう。

 一日の工事が終わり、沢の水音や野鳥のさえずりにつつまれたこの場所に、夕方ひとり佇んでいると、沢の方からヒグラシが鳴きはじめる。すると、それを待っていたかのように山側の雑木林からもヒグラシの合いの手が聞こえてくる。その輪唱のようなハーモニーは、山林伐採でぽっかりと青空まで抜けた空間に響き、しみじみとした音環境を味わうことができた。



2 –5 給水パイプラインづくり

 水が確保できたので、7月10日から終の住処の基礎工事に着手。
 井戸ポンプ小屋と給水パイプライン工事は、7月末から8月はじめにかけて施工する。ポンプ小屋は外断熱仕様のコンクリート造りとし、

 そこから終の住処の給水タンクまでは、パイプラインを150m敷設する。ポンプ小屋からは20mほど斜面を横切りながらながら登るところがあり、造成が必要となる。

 その先130mはリンゴ畑中段の端部を通り、下段の北西沿いを進む。

 背丈以上に伸びている藪を刈払いながら、小型バックホーで溝を掘り進み、給水パイプは凍結深度以下に埋設し、あわせて電力ケーブルも敷設する。150mのパイプラインづくりに3日間を費やした。



2 –6 建設現場用の道路造成

 公道から終の住処を建てる下段まで、軽トラックが進入できる轍が残っていた。

 この轍に沿って80mほど造成工事が必要だ。家を建てるためには10トンの生コンミキサー車やポンプ車、家の構造体組立時に必要なクレーン車が進入できるよう、4mの道幅と10トンの重量に耐えうるよう路盤を強固なものにすることが求められる。
 造成は、重機で道を切り拓き、路盤は砕石を転圧するだけの簡易な設計とし、自然環境に配慮する。

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